私が中国史の中で一番好きな人物です。
彼は呉と争う越の軍師でした。
この当時の呉には孫子兵法でお馴染みの孫武と「死者に鞭打つ」の語源となった伍子胥がいました。
そんな強力な呉を相手に范蠡が編み出した戦術の一つ・・
死罪を言い渡された罪人を集めて最後に国に殉じて名誉の死を遂げようと説きます。
彼らは兵士として整列し、敵の目前まで歩いて行き、いきなり自らの喉元を掻き切って自決するのです。
呉兵は皆恐れをなして撤退しました。
そんな范蠡は非情の人でもあります。
彼が諌めたにも関わらず無理な出兵をした越王勾践。
結局、呉に敗れてしまいます。
死を選ぼうとする勾践を説き伏せて呉王夫差の下僕となる事を承認させます。
そして自らは越で最も美しいと言われる西施を説得して夫差に献上します。
この時、范蠡と西施は恋に落ちていたのではと言われています。
自分の愛する女性を敵にくれてしまう・・なんて冷酷な人間でしょうか。
しかし国の存亡が関わる時に情に流されて判断を誤る事はなかったのです。
それから越の人間は勾践以下皆が屈辱の日々に耐え、やがて遂に呉を倒す日がやってきたのです。
その時、勾践は自分も命を救われたので夫差を殺すのには忍びなかった。
だが范蠡はそんな主君にこう言って諌めます。
「天の与うるを取らざれば反って其の咎めを受く」
呉を滅ぼした越でしたが、范蠡は国を去る事にしました。
勾践は越復興の最大の功労者である范蠡に
「お前には国の半分をやってもいいと思っている」と引き止めましたが彼は去りました。
その後、一緒に勾践を支えた同僚の文種に自分と同じように越を去る事を勧める文を送ります。
そこに書かれていた一文が・・
「蜚鳥尽きて良弓蔵せられ、狡兎死して走狗煮らる」
です。
文種は范蠡の警告を無視して越に留まりますが、范蠡の予言通り讒言によって勾践から自決を迫られて死んでしまいました。
范蠡は西施を連れて逃げたとも言われますが斉で鴟夷子皮と名前を変えて商いで大成功します。
あまりにも有名になりすぎた為、富を分け与えて斉も去ってしまいます。
次に陶朱公と名前を変えた後も商売で大成功して巨万の富を築くのです。
この頃の逸話にも范蠡の考え方がよく分かるものがあります。
彼には三人の息子がいました。
そのうち次男が隣の国で人を殺してしまった。
范蠡は三男に大金を持たせて
「あの国には知り合いがいる。彼は実力者だからこの金を渡して恩赦してもらうように」
話を聞いていた長男が
「そんな重大な任務は長男である私が行くべきです」と三男を押し退けて自分が行ってしまいました。
長男は実力者に会ってお金を渡しますが、町で恩赦の噂を聞き実力者に再度会って「金を返せ」と言って取り戻して自分で使ってしまいました。
結局次男は死罪になって長男はその遺骨を持ち帰りました。
范蠡は言いました。
「お前を行かした時点でこうなるのはわかっていた。
最初にお前を行かせようとしなかったのは、お前は私の苦労を側で見ていたから大金を人にやるのを惜しむだろうと考えたからだ。
三男なら生まれた時から裕福だったから気前よくお金を渡す事ができる。
だから次男が生きて帰る事はないと思っていた」
なんという達観でしょうか。
見方によっては非情で冷酷だとも言えますが、それ故に勾践に殺されずに商売でも成功したと言えます。
彼の生き様は私達に沢山の教えを残してくれているように思えます。
そんな范蠡が活躍するドラマが「燃ゆる呉越」です。
これは中国歴史ドラマの中でも「三国志Three Kingdoms」の次にオススメするドラマです。
越が呉に敗れるところからドラマは始まり、そこから越の人間皆にとって屈辱の日々が続きます。
范蠡と西施の逢瀬、范蠡の戦術、そして最後に呉を倒すところまでを描いています。
夫差の下僕として数々の侮辱に耐える勾践の姿に心が痛みます。
この勾践の姿を見ると自分の人生の苦しさなど大した事ではないと思えてきます。
現状人生に悩んでたり落ち込んでる人にぜひ見て頂きたいドラマです。