この本を読んだ。
冒頭で著者がキャリアをスタートさせる切っ掛けがリチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」だと述べている。
暴力が遺伝子に因るものだという論拠が数多く述べられていくが、そもそも何故暴力が未だに残ってるかというとそれはまさしく生存戦略に基づいた行為なのだ。
私は最近この話題を取り上げた。
これに関連した内容も同著では取り上げている。
継親からの虐待で殺される子供の数は実の親からの虐待で死亡する子供の数の100倍に上る。
そして「実の父親だと信じている」が実際は血縁関係がない男性が10%存在していて、どうやら虐待する親はこの中に多く含まれてるかもしれないということだ。
つまり薄々「この子は自分と似てない」と感じていてそれで暴力を振るうのかもしれない。
つがいで雛を育てる鳥はパートナーが死ねば雛を育てるのを放棄して次のパートナーを探す。
人間でも子供の虐待事件のほとんどは
シングルマザー X その彼氏
の組み合わせで起こる。
・彼氏にとってはシングルマザーの子供を育てる事にはメリットがない。
それどころか自分の子どもを産んでもらう支障になる。
そして自分の稼ぎを自分の本当の子供に全て注ぎ込む事ができなくなる。
・シングルマザーにとっても連れ子は彼氏から愛情を注がれないのがわかっている。
でも彼氏との間の子供は愛してもらえるはず。
自分と彼氏との子供だけなら円満な夫婦生活が営める。
邪魔なのは連れ子だ。
こうやって合理的な判断によって連れ子は邪魔者扱いされてしまう。
「利己的な遺伝子」で主張されてるようにあらゆる生物にとっては遺伝子を残す事が全てである。
自分とは遺伝的繋がりのない子を育てるお人よしの遺伝子は淘汰される。
例を挙げると
男性は初婚、女性は再婚。
妻の連れ子が二人いる。
妻はもう子供は要らないと思っている上に身体的にもう子供は産めない状態である。
ヒューマニズムの観点からするとこの男性は非常に優しい人であると言える。
しかし遺伝子から見ればお人よしも甚だしい事になる。
女性は既に遺伝子を残してるから問題はないがこの男性はこの女性と結婚したが故に自分の遺伝子は残せない。
その上全く赤の他人の遺伝子を残す為に働く事になる。
勿論他の動物とは違って人間は理性的な生き物なので子供の方も感謝して義理の父親に恩返しをしてくれるかもしれない。
しかし本来は生命として遺伝子を残すのが唯一最大のタスクなのでこれが出来ない事のデメリットの方が大きい。
さて暴力と遺伝子の関係の話に戻るが研究で一卵性双生児が全く別の家族に引き取られた後の追跡調査の結果が興味深い。
一卵性双生児が異なる家族に引き取れてその後全く接触がないにも関わらず、一方が犯罪を起こした場合もう一方も犯罪を起こしている確率は極めて高い。
地理的にも離れた場所なので環境のせいではなく遺伝子が原因だと考えられる。
いちいちこんな例を挙げなくても暴力的な親から生まれた子供はやはり暴力的である可能性が高い事位誰もが本能的に感じている。
日本では「氏より育ち」という言葉もあるが科学的に言えば逆である事例の方が沢山挙げられる。
残念ながら「育ちより氏」の方が正解なのだ。
ではこの文明社会で何故未だに暴力が残っているのか?
それは未だに暴力が生存競争において有効なアイテムだからと言えよう。
地球上ではまだあちこちで戦争が起こっている。
戦争で生き残るには暴力的でなければならない。
反撃しなければ殺されるだけなのだ。
そしてシリアルキラーですらグルーピーの女性がいたりする。
一定数の女性が暴力的男性を好むのだ。
この事はDVに遭いながらも暴力的な男性ばかりを選んでしまう女性の存在からもわかるだろう。
ではこの女性は何故酷い目に遭いながらこんな男を選んでしまうのか?
それはここまで話してきたように暴力的男性の遺伝子を引き継いだ暴力的な子供が生存競争で有利だからだ。
人類が完全に理性的ではない以上、暴力が生き残りの上で優位な場面は現代社会でもまだまだ多い。
だからこそ殴られながらも優しい男性よりDV男を愛してしまう女性が後を絶たないのだ。
事象だけを見ると「バカだなあ・・」としか思えない事でも深く突き詰めていくとちゃんとした根拠があるものだ。