曹操は三国志の中で一番好きな人物です。
なかなか記事を書かなかったのは史実と三国演義による創作の部分が入り乱れて激しく突っ込まれそうだったからです。
今回は史実かどうかはあまり気にせずに書きたいと思います。
冷徹な現実主義者
私が曹操の事を気に入ったのは「呂伯奢殺害」の一件からです。
董卓の元を逃れて(董卓暗殺未遂は演義の創作)、自分の首に賞金が掛けられてるにも関わらず匿ってくれた父の義兄弟である呂伯奢。
呂伯奢が酒を買い出しに行った後、休んでいた曹操は刀を研ぐ音と「縛って殺せ」という言葉を聞いて家人が懸賞の為に自分を殺そうとしていると思い込み皆殺しにします。ところがその後縛ってある豚を見つけて誤解だと気づいて逃走。その途中で酒を買って戻ってきた呂伯奢と遭遇。曹操は呂伯奢も殺してしまいます。
自分を助けてくれた恩人を殺すとはなんと冷血な恩知らずでしょうか。
普通の人ならそう思うでしょう。
でも私はここに曹操の冷徹な現実主義者の一面が垣間見えると思うのです。
もし曹操が呂伯奢に正直に誤解で家人を皆殺しにしたと告白したら許してもらえたでしょうか?
それとも何も言わずその場から逃げ出せば、家に帰って惨状を見た呂伯奢は通報して追っ手を寄越すでしょう。
このように先読みをすれば「誤解して家人を殺してしまった以上、主人も殺さざるを得ない」という結論に至るのは当然の事なのです。
曹操は大志を抱いてました。
その志を実現する為にはこの後も犠牲は付き物です。
だから自分がここで捕まる訳にはいかない。
そうだとすれば残念ながら情に溺れて呂伯奢を生きて家に帰す訳にはいかないのです。
歴史に名を残す人間は必ずどこか冷酷な一面があります。
曹操はこの時「我が人に背くとも、天下の人が我に背くことは許さない」と言ったとされます。
なんという傲慢、自分勝手な考えなんでしょう。
しかし、これ位の傲慢さがなければ天下など獲る事は出来ないのです。
曹操の現実主義的な残虐さは徐州大虐殺にも現れています。
ここでは陶謙に父である曹嵩を殺された報復の為としているが当然ながら本当の目的は徐州を手中に収める為です。
曹操は身内を殺された怒りで我を失って暴挙を犯すような愚かな人間ではありません。
その証拠に自分の長子である曹昂と甥の曹安民、猛将の典韋を殺した憎き相手である張繍と賈詡をその後、配下にしています。普通の感情を持っている人間ならば自分の息子や甥、部下を殺した相手など八つ裂きにしているでしょう。それを許して重用するとはなんという度量の広さでしょうか?賈詡は軍師として曹操の覇権確立に大きく貢献した。有能な人材であればたとえ仇であっても重用する。ここにも曹操の現実主義者としての凄さが確認できます。
人材こそ最も重要だと理解していた
曹操は天下を獲るには人材こそ最も重要だと理解していました。
上述のように自分の息子を殺した人間であっても有能なら登用する。
これはなかなか真似の出来る事ではありません。
曹操は元は敵の武将や軍師であっても降ったら殺さずに用いました。
求賢令を出した際、「陳平(漢を興した劉邦の軍師)のように兄嫁と密通し、賄賂を受け取るような人物であっても『唯才是挙』才があれば唯これを挙げよ」と言いました。
敵である劉備の義兄弟である関羽をこよなく愛したのも曹操でした。
軍師の郭嘉が早世した時には「哀しいかな奉孝、痛ましいかな奉孝、惜しいかな奉孝」と大層悲しんだそうです。
荀彧、荀攸、程昱、郭嘉、司馬懿など優秀な軍師を集める事ができたのも曹操が人材を重視していたからに他なりません。
兵法や軍略に通じていた
中国の歴史を振り返ると主君が凄いというよりも配下、特にNo.2が優れていたから天下が取れたケースが多い。
春秋五覇筆頭に挙げられる斉の桓公も本人の才よりそれを支えた管仲の力に依るところが大きいし、漢を建てた劉邦も自身はただの亭長で女好きの酒飲みのヤクザものだったが、張良、蕭何、韓信という英傑がいたお陰で天下統一を成し遂げた。
曹操にもこれまで述べたように臣下に優秀な人物が多くいたが誰よりも曹操自身が優れていた。
なにせ「孫子の兵法」に注釈を付けた人物です。現在に伝わってるものは曹操版の孫子兵法です。
だから彼自身、どのような軍略を立てるべきか?非常によく理解できていた。
争った袁紹が大勢いた軍師の異なる意見に惑わされて優柔不断な戦術しか取れず敗れたのに比べて、曹操は軍師の意見も自分で的確に判断する事が出来た。この辺りも他の君主にはない曹操の強みと言えるでしょう。
詩人としての一面
私が曹操を敬愛するのは君主として優れているだけでなく詩人としても才能があったからです。
これまで述べてきたように残虐で冷酷なところもある反面、ロマンチストでもあったのです。
一番有名なのは「酒にむかえば正に歌うべし、人生幾ばくぞ」の一行から始まる「短歌行」。
自分が最も好きなのは「亀雖寿」という詩の中の一節です。
老驥(き)は櫪(れき)に伏して、志は千里に在り
烈士は暮年にして壮心已(や)まず
老いても夢と希望を持ち続けるんだという強い意志が感じられますね。
良くも悪くも人間らしい
ここまで書いてきたように曹操という人は良くも悪くも人間臭い所があって好きです。
大事を成すためには時には冷酷な決断も下す。
遠征軍の食料が底を突いて兵士の反乱が起きそうになった時、担当官を兵士の前で「こいつが食料を盗んだ」と濡れ衣を着せて斬首し、兵士達の怒りを沈めた。
進軍中に水がなく皆喉が乾いて士気が落ちてきた時に「この先に梅林があるぞ!」と叫んで、兵士は梅の実を想像して唾が口の中に湧いて乾きが癒された。
曹操の叡智には本当に恐れ入ります。
曹操の凄さをもっと知ってもらう為にはぜひ下のドラマも見て頂ければと思います。