皇太后は私の好きな故事「狡兎死して走狗烹らる」を使っていました。
これも上記の范蠡が越王勾践の元を去る時に同僚の文種に宛てた手紙に書かれていたもので後に漢の大将軍韓信も使っています。
「甄嬛传」の原作は特定の時代を想定していなかったがドラマでは清朝の雍正帝という設定にして上手く史実と整合性を取った。だから故事の引用も自然に感じられる。
それに対して原作同様架空の国名、人物しか出てこない「琅琊榜」の場合は完全フィクションであるのにそういう引用をするとおかしくなってしまう。
この辺りも両作の差になっている。
パワーバランスの問題
「琅琊榜(ろうやぼう)」が佳作止まりになった最大の要因は梅長蘇が無敵過ぎた事である。
番組の宣伝文句で出てくる三国志の軍師「諸葛亮(孔明)」と比較すればよくわかる。
諸葛亮は呉の大都督周瑜の打つ手を悉く先読みしていた。
だから周瑜は毎回やられっぱなしでいつも歯ぎしりをして悔しがり最終的には
「天は既に周瑜を生みながら、何故諸葛亮も生んだのだ!(既生瑜、何生亮)」
と恨み文句を吐いて死んだ。
梅長蘇はこの時の孔明と同じくらい完璧だった。
さて諸葛亮がこのままずっと完璧であれば当然劉備が天下を取り三国志ほど人々の心を掴む物語にはなっていない。
諸葛亮がいくら優れていても自分のいう事を全く聞かない関羽や張飛、止めているのに関羽の仇を取る為に無謀にも呉に攻め入り大敗した主君の劉備、命令を無視して山頂に陣を敷いて味方を全滅させた馬謖・・このように身内に足を引っ張る馬鹿が大勢いたので孔明の力が削がれて面白かったのである。
梅長蘇の周りの江左盟の臣下は皆完璧過ぎた。
そして前述の通り敵が弱すぎるのが物語的には緊張感を失う原因になった。
第一の敵、謝玉までは良かったが第二の敵である夏江が全く愚か過ぎてどうしようもなかった。
それと誉王の謀臣の秦般弱がもう少し聡明であればもっと互角の面白い展開にできたはず。
「宮廷の諍い女」では最初の敵「華妃」、次なる敵「皇后」とも手下を多く擁して悪の限りを尽くした。
主人公はほぼ孤立無援で最終盤まではほぼ自分の命を守るだけで精一杯だった。
この辺のパワーバランスの設定が両作の物語としての面白さの差になってしまった。
ついに日本版DVD-BOX発売開始!