膨大な量なのでまだ全部読み切れてないが非常に面白い。
これまで読みもせずに知ってる振りをしてきて後悔している。
自分が韓非子の名前を初めて認識したのは小学5年生の時だ。
夏休みの自由研究でことわざを大量に集めて大きな紙に書き記した。
中に「矛盾」を入れたのだがこの出典で韓非子という名前を初めて見たのだ。
韓非と言えば法家の人で性悪説を荀子から引き継いでる人という印象のみであったが読んでみると
「いかに臣下や民を御するか」という現代にも通用する組織論として有効であると感じた。
柱は賞罰を定め例外なく適用するといった事になろうかと思うが非常に多くの説話が含まれておりこれらが大変面白い。
「守株」などは有名だから知ってる人も多いだろう。
ここでは「余桃の罪」を紹介する。
弥子瑕は衛の君主に寵愛されていた。
衛の法では許可なく君主の車に乗ったものは足斬りの刑に処せられた。
弥子瑕の母が重篤な病気になり使いの者が夜ひそかに行って弥子瑕に知らせたので弥子瑕は君命と偽り君主の車に乗って母のもとへ行った。
衛君はこれを聞いて
「なんと孝行なのであろうか、母のために足斬りの罪さえ忘れるとは」と言った。
ある時、衛君と果樹園で遊んだ時、弥子瑕は桃を食べてとても甘かったので半分を衛君にあげた。
すると衛君は
「余のことを愛するあまり食べかけなのを忘れて余にくれるとは」と喜んだ。
しかしその後寵愛が薄れると、
「こやつはかつて勝手に余の車に乗り、食べかけの桃を食べさせた」
と罪とされた。
同じことをやってもその印象は愛されているか憎まれているかで大きく変わる。
最後にもう一つ。
昔、韓の昭侯が酔って寝てしまった。
冠を管理する者が昭侯が寒そうなのを見て衣を上に掛けた。
眠りから覚めた昭侯は周りの者に尋ねた。
「誰が衣をかけてくれたのか」
「冠を管理する者です」
昭侯は衣服を管理する者と冠を管理する者を二人とも罰した。
衣服を管理する者は職務怠慢、冠を管理する者は越権行為と見做されたのです。
たとえ良かれと思って善意でやった事でも自分に許された範疇を超えた行為を認めてしまえば国は乱れてしまいます。
その事を説話によって戒めているのです。