(追記11)第37話最終回までみました。
このドラマ結局最初から最後まで陳公公が「国のために」という大義名分を元にやりたい放題だっただけでしたね。
包拯は結局まともに解決したのは最初の復讐劇だけで後はほぼ未解決だし、最初から陳公公が諸悪の根源だとわかりそうなものなのになかなか気づかないし。
長い割には中身のあまりないドラマでした。
最後展昭と蕭ケイの恋の行方は予想通りで大団円。
(追記10)第27話までみました。
遼から来た鉄血殺手隊の李達は皇帝と包拯を殺せと何度も宋に潜入してる人達に迫るんですが自分たちで殺せばいいのに。
なんか同じやり取りの繰り返しでウンザリします。もっと短くできるんではないでしょうか?どうでもいいところに時間を使い過ぎです。
それはさておき陳公公が強すぎてビックリ!
(追記9)第20話までみました。
このドラマ、いくつかのエピソードをクロスフェードで繋げていくスタイルのようですが、2つ目の連続レイプ殺人はいつの間にか一家四人惨殺事件に置き換わってて、結局レイプ犯は殺された男という事でいいんですかね?
そしてこの一家四人惨殺の真犯人も結局よくわからんです。自殺した開封府の人間だったのでしょうか?
いつの間にか遼が宋を攻める話に変わっていてもうさっきの事件は終わりなんですかね。
なんかあまりにもすっきりしない終わり方です。
遼の王族の人は「萍踪侠影」の張丹楓の父親と配下の石の両方に似ています。よく考えたらこの二人紛らわしい顔でした。
果物屋の嫁は「ハンシュク~皇帝の女傅」の寇蘭芝の侍女碧玉の人ですね。
結婚する男の父親はいつもの「いい人役と言えばこの人」というおっちゃん。この人本当に出まくりですね。
「鹿鼎記 ロイヤルトランプ」、「傾城の雪」でも見ました。
もう中国ドラマ見すぎて大体顔の見分けがつくようになりました。
ところでさっきの続きですが、陳公公をラスボスにしてるために黒幕を探すと言いながら判明してしまうと話が全部終わってしまうので引っ張るために有耶無耶にしたのでしょう。ちょっと最初の復讐劇の時からすると全体的に評価を下げざるを得ません。
三千人復讐劇では冷徹な現実主義者、一家四人惨殺ではただの極悪人、そして遼の攻撃では愛国主義者とキャラがブレまくりの陳公公です。
(追記8)第18話までみました。
陳公公は三千人復讐劇の時は割と冷静な現実主義者という描かれ方だったんですが、今回の事案から急に卑怯な陰謀を企てる陰湿な男と化してしまいました。
ところで蕭ケイはとんでもない馬鹿女ですね。余計な事ばかりして包拯と展昭の邪魔しかしてません。
さて一家四人惨殺事件については容疑者二人がお互いに相手が真犯人だと思い込んでお互いに庇い合って泥沼に嵌まるというミステリではよくあるパターンです。仕込み自体は陳公公に脅された人間がやってるので流石の包拯も気づきにくいです。
霊山衛という歌の演出はなかなか良かったですね。最初展昭に歌わせて、次に幼馴染の証人に歌わせるという・・見る者をハッとさせます。
肝心の事件の方ですがなかなか予想外の展開でちょっとビックリ。
(追記7)第14話までみました。
陛下も陳公公も包拯も展昭も全員がホウ吉の息子が復讐に来ると予想して、案の定早速襲うという・・それならやっぱり処刑しておけば良かったやん。
さて新天地で連続レイプ殺人を捜査することになった包拯と展昭。
陳公公は陛下があまりにも包拯を評価するので嫉妬心からか妨害に出てきそうです。
展昭が大好きな蕭ケイも追っかけてきましたがどうなるでしょうね。
(追記6)第13話までみました。
七侠五義はいくつかのエピソードを繋いでいくという形式だそうで、最初の三千人の仇討ちに関しては今回が最終話となります。一応次のエピソードのネタフリもしつつクロスフェードしていく感じですね。
三千人の味方兵と普通の民を虐殺したホウ吉。復讐を誓う四人衆+白玉堂。
穏便に済ませたい陳公公。正義をあくまで法の元で成し遂げたい包拯。
そしてホウ吉の大罪は承知した上で命は救いたいと思ってる皇帝。
それぞれの思惑が微妙に異なっているので事態は複雑化。
ホウ吉を断頭台で処刑しようとする包拯。
止めに向かう皇帝と陳公公。
正義は果たされたものの、ホウ吉の息子がいかにも復讐の為に包拯を襲いそうです。
展昭は新しい赴任地へ向かう包拯を守る為に帯同することに。
(追記5)第12話までみました。
包拯の話というのは中国では有名だそうで何度もドラマ化されています。
今も「開封府」というドラマが日本でも見れるみたいです。
さて今回の話もいよいよ大詰めです。
包拯、陳公公、ホウ吉三つ巴の戦いは見どころがありましたね。
諸悪の根源のホウ吉と正義の味方包拯だけでしたら多分面白くはなかったと思います。
ここに現実主義者の陳公公が入る事で勧善懲悪の単純なストーリーから緊迫感のある話になったと思います。
それにしてもホウ吉は策士ですね。しかもそのホウ吉の策略を読み切ってる陳公公も老獪です。
この二人の心理ゲームはこのエピソードを通して一番の見所でした。
若き皇帝も意外と賢いのがまた良かったです。
(追記4)第9話までみました。
まあ勧善懲悪で万々歳な結末にはならず妥協の産物になるところなんかは現実の政治の世界ですね。
地味ではありますが大人のドラマって感じです。
(追記3)第8話までみました。
老獪な陳公公が校正の部屋で包拯に言った言葉が秀逸でしたね。
「以前は誤字だと思っていたものが今見ると単なる当て字だったのです・・
形が違えど意味が同じ字もあります・・
無理に直す必要はない」
これに対して「何かの例え話では?」と問いかける包拯。
「最近、包殿はいくつかの誤字を発見されました・・
そして1つずつ直そうとなさった・・
だがそれは陛下も先帝も看過されたもの・・
それでも誤字と言えますか・・
単なる当て字の類でしょう」
国の大計の為に巨悪も見逃すべき・・確かに歴史を振り返ればそういう事は普通に行われて来た事でしょうし、なかなかどっちが正解とは言い切れませんね。
このシーンはこの作品のある意味クライマックスと言ってもいいと思います。
綺麗事や単純な復讐劇を越えて国家というのは清濁併せ呑む存在であることを如実に示しています。
この後のホウ吉が宮廷を掃除しているところに陳公公が現れて、雑巾を用意した者を棒叩きの刑にした際、
「宮中で人に指図できるのは陛下だけです」とキツい皮肉を放ったところも凄い。
こういう「ある人を非難したい時にあえて第三者を批判する」のは高等テクニックですので自分も学びたい。
(追記2)第7話までみました。
いや~古今東西役人とか役所というのはどこもかしこも腐りきってますよね。
人間皆自分の利益の為に動くものなので民の為に正義を貫いてくれる人間なんてほんの一握りだと痛感します。
展昭役のチウ・マンチェク(趙文卓)はひろゆきに似てますね。
武術大会で優勝したこともあるらしいです。
(追記1)第4話までみました。
味方に1800人以上殺された復讐というのは「琅琊榜」と酷似しています。