中国の歴史ドラマにハマり、そして古典の「史記」「十八史略」「戦国策」「韓非子」なども楽しく読んでいます。
私は小学生の時に「ことわざ」マニアになったんです。
ことわざ辞典を何冊も買う位、大好きになりました。
ことわざの中に故事成句もかなりの割合で混じっています。
初めて「矛盾」という言葉の由来を知った時には感動しました。
たった2文字の言葉の裏にそんなストーリーがあっただなんて!
そうなんです、故事成句の物語性こそ大きな魅力なのです。
中国の歴史ドラマを見ていると子供が学ぶ事って歴史がほとんどなんですよね。
ドラマ「三国志Three Kingdoms」の最終回では幼少の司馬炎が
「庭に楡の木ありてその上に蝉あり
蝉は羽を広げて鳴き清露を飲まんと欲す
蟷螂が後ろにあるを知らずその首を曲げる」
と諳んじるシーンがあります。
これは「蟷螂蝉を伺い黄雀後ろにあり」という警句として諸葛亮が陸遜に宛てて送ったカマキリと蝉の死体の置物のシーンとしても劇中に出てきます。
このように会話の中に故事からの引用が非常に多い。
三国志に出てくる人物はそれより前の時代、「春秋戦国」や「楚漢」の逸話をよく使ってます。
曹操が荀彧の事を「我が子房」と呼んだのは漢の劉邦に仕えた軍師「張良」に準えたもの。
諸葛亮は自分自身を春秋戦国時代の「管仲」「楽毅」に擬えたり、会話の至るところに過去の人物や事績からの引用が出てきます。
直截的にものを言うより、歴史を語る事によって説得力が増しますし、情景がリアルに思い浮かべられるので受け入れ易くなります。
最近私が好きでよく使うのは
「北行して楚に至る」という故事。
楚って昔の中国の南部にあった大国です。
「四面楚歌」の楚です。
話の内容は・・
「でもそちらは楚に行く方向ではありませんよ」
するとその男は
「この馬は駿馬ですよ」
「いくら駿馬でもそちらは楚の方向ではありません」
そう言うと男は
「旅費も沢山あります」
「旅費がいくらあってもそちらは楚に行く道じゃありません」
男は
「私の御者の手綱捌きは一流です」
条件が良ければ良い程、楚からは遠ざかってしまいます。
日本人って「努力」って言葉が好きですけど、これって危ないなって思っていました。
だって「努力」の方向性が間違ってたらどんどん目的地から遠ざかる訳ですから。
そういう事を単に「努力すればいいというものではない」と言っても説得力がありません。
でも上記のような物語として説明するば誰だって理解できます。
最近、私はよく「韓信」の話を人にします。
何故韓信か?
中国の歴史に興味のない人は韓信を知りません。
でも「背水の陣」や「国士無双」という言葉はほとんどの人が知ってる。
その言葉の元が韓信であることを説明した上で生い立ちや「股くぐり」のエピソード、項羽や劉邦との関わり、そこから蕭何に国士無双と呼ばれた事、劉邦から大将軍に任じられ斉を下してとばっちりで酈食其が釜茹でになった事、仮の斉王になりたいと行って劉邦を激怒させたが張良と陳平が劉邦の足を踏んだので認めて貰えた事、項羽を倒して世話になったおばさんに恩返しして股をくぐらせた男を見返してやった事、劉邦はせいぜい10万の将だが自分は多ければ多いほど良いと言って不機嫌になった劉邦に「将に将たり」とご機嫌を取った事、結局劉邦に謀反を疑われ「狡兎死して良狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵され、敵国敗れて謀臣亡ぶ」と呟いて、最期は呂后と蕭何によって捕らえられて殺された事・・こういうストーリーを話せば全く韓信を知らなかった人にも興味を抱かせる事ができる。
我々日本人が日常使う故事成語もそのバックグラウンドを教えてあげると面白がってもらえます。
「臥薪嘗胆」「合従連衡」これらはそれぞれ二つの言葉を組み合わせたものでそれぞれの背景に二人の人物の存在がある。
「四面楚歌」という良く使われる言葉ですら「歌ってるのは誰でしょう?」「聴かされてるのは誰?」と尋ねるとほとんどの人は知りません。
「管鮑の交わり」「刎頸の交わり」という二人の友情物語。
「死者に鞭打つ」は実話が元であること。父と兄を殺された伍子胥が復讐で楚の平王の死体を300回鞭で打った。
この伍子胥は一方で孫子兵法を読んでその才に驚嘆し、孫武を呉王闔閭に推挙した。
現在では違う意味で使われている「鳴かず飛ばず」
夏桀殷紂という暴君二人による「肉山脯林」と「酒池肉林」
人間の愚かさは時代が違えども変わる事がない。
だから歴史に学べば同じ過ちを繰り返さなくても済む。
そういう意味では故事の元になる物語まで知るというのは非常に為になります。
これからもYouTubeで故事や偉人を取り上げていきたいと思っています。