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【三国志に学ぶ】名声を確立する重要性

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「知名度」が自分の助けになる事が三国志を見ればよくわかります。

諸葛亮は天才軍師として知らぬ者はいないという存在でした。
ですので魏軍に包囲されて絶体絶命の危機に陥った孔明はあえて城の門を開け放ち泰然と琴を弾いて司馬懿を待ち受けた。

実際には少ない兵しかいなかったにも関わらず、司馬懿は諸葛亮の落ち着いた振る舞いから「伏兵がいるに違いない」と思い込んで撤退した。

この空城の計は史実では趙雲が用いたものですが三国演義では諸葛亮の名声の力を象徴する話として取り上げられています。

つまり「あの天才軍師の事だから何かあるに違いない」とハッタリが効いた訳です。
これが何も実績のない無名の将軍ならそのまま攻め入られて終わりだったでしょう。

司馬懿は諸葛亮が死んだ後も彼の木像を本人が生きてると勘違いして兵を撤退させました。
「死せる孔明生ける仲達を走らす」です。

名声があるとそれだけで人々が勝手に「あの人は凄い」と思い込んでくれてその人のやる事は全て良いように解釈、評価してくれます。これこそがブランドの力なのです。

諸葛亮は三顧の礼で劉備に迎えられる前から知る人ぞ知る存在だった。

名声さえ確立してしまえば後は敵が勝手に恐れをなして逃げていきます。
そこまで行けば実力以上の成果が得られるようになります。

そのような状態になるまでは自画自賛で吹聴することも必要です。

孔明は臥龍崗という草廬に住んでいた時から自らを春秋戦国時代の斉の名宰相「管仲」や燕の将軍「楽毅」に比していたそうですがそういう喧伝も欠かせないということですね。

管仲や楽毅みたいな偉人と自らを比べるなんて不遜であると呉の張昭に言われますが、孔明は自分の戦績を挙げて反論します。

こんな大昔ですら知名度や名声があれば一目置かれて優遇されてきたのです。
今の時代なら猶更、名前が知られる事は大事でしょう。

曹操の名前が最初に知られたのは董卓暗殺未遂から。
董卓と言えば傘下の武将の誰が勇猛か知れ渡ってましたね。

この華雄を斬った事で関羽は一躍名を上げました。
つまり著名な人間に勝てば自分も有名になれるということです。
その後、袁紹に仕える猛将、顔良と文醜を倒して関羽の名は天下に轟きます。

この当時最高の将と言えば呂布でした。
「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」とまで言われその名を知らぬ者はいない存在。

伝達手段が限られていたこんな時代でも噂になればすぐに有名になるもの。

馬氏の兄弟は皆優秀であると有名でした。
中でも一番優れている馬良の眉毛が白かった事から「白眉」という言葉が生まれました。
ちなみにその弟の馬謖は自らの才に自惚れて最後は諸葛亮に処刑されます。
これが「泣いて馬謖を斬る」

当然ながら悪い意味で有名な人も沢山いました。

これでは逆ブランディングになるので気を付けましょう。

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